ブログ
令和7年
令和6年
令和6年4月 食道がん?!になってしまいました その4 ~病理検査の結果は~
令和5年
令和5年6月 私の株式投資法 その5 ~5銘柄の株を買ってみました~
R5年5月 私の株式投資法 その4 ~売りのタイミングは?~
R5年4月 私の株式投資法 その3 ~いつ株を買えば良いのでしょうか~
R5年3月 私の株式投資法 その2 ~どのような投資ファンドを作ったら良いのか~
令和4年
令和3年
令和2年
令和1年
平成31年
平成30年
H30年4月 ビットコインを買うのなら(麦わら帽子は冬に買え)その1
H30年2月 3年ぶりに甲斐バンドのライブに行ってきました。
平成29年
H29年3月 恥ずかしながらビジネスクラスで伊にいってしまいました。その2
H29年2月 恥ずかしながらビジネスクラスで伊に行ってしまいました。その1
平成28年
平成27年
平成26年
平成25年
平成24年
H24年11月 妻がワンル-ムマンション?!買っちゃいました
H24年10月 妻がワンル-ムマンション?!買うかもしれません
平成23年
平成22年
平成21年
H21年10月 マンション経営セミナ-に参加してみました その3
H21年9月 マンション経営セミナ-に参加してみました その2
令和7年9月 丘の上の「ダンディ」1
年を取るにつれ 自分よりも先に生まれた方たちが 寿命を迎え旅立っていきます。
そういう人たちとのお別れの場に立った時その人の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ることがあります。
N社長とのお付き合いは30年以上 私が30歳、平成2年 バブル景気の真っ最中の時でした。
本社は駅から続く丘の上にあり、当時の会社の規模は 売上が20億 社員さんが50名 前後。
N社長とは年が15 離れており、親ほどの年齢差はないにせよ、
兄弟という近さでもなく 学校の先生と生徒との年齢差に近い感じでした。
いつもきちっと背広を着こなし、人当たりがよく
常にポーカーフェイスで、物事に対して常に自信をもって対処しているダンディな経営者という印象です。
物事に対する判断は早く、わたしとの打ち合わせで一度決めたことを後日覆すことは一度もありませんでした。
会社の業績は順調でしたがバブルがはじけ、
本店の土地の資産価値は低下し、その結果債務超過となっていきました。
金融機関の貸し剥がしや 貸し渋りが始まる中での綱渡りの経営が続きました。
平成15年頃、
利益は出ているが本社の土地はバブルの含み損があり、利益に応じた税金を支払えば
借入金の返済が遅れるという問題に直面していました。
うまく含み損を利益と相殺できないか それも 少しずつ・・・・
そこで、わたしがN社長に提案したことは、N社長一族が別会社を設立し、
その会社が本社の株を買い取り本社を完全子会社にしたうえで不動産価値の下がった土地建物を
その別会社に毎年少しずつ売却することによって本社の利益と相殺するという案でした。
親会社が支払わなければならない土地建物の代金は
子会社である本社が配当金を支払うことで返済するというスキームです。
親会社が受け取る配当金は課税されません。
そして、債務超過のうちに親会社の株式について相続対策を行う。
大社長は私の提案に同意し直ちに実行に移しました。
税務調査では、会社の含み損を分割で計上するのは同族会社の行為計算否認に該当するのではと
嫌味な指摘を受けましたが、更正処分できるはずもなく 結果として狙い以上に功を奏し 現在に至っています。
そうして別会社は、駅近の優良物件を何件も購入しその収益だけで相当の利益を出せる会社になっていきました。
前へ |
---|