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令和6年4月 食道がん?!になってしまいました その4 ~病理検査の結果は~
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令和5年6月 私の株式投資法 その5 ~5銘柄の株を買ってみました~
R5年5月 私の株式投資法 その4 ~売りのタイミングは?~
R5年4月 私の株式投資法 その3 ~いつ株を買えば良いのでしょうか~
R5年3月 私の株式投資法 その2 ~どのような投資ファンドを作ったら良いのか~
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H30年4月 ビットコインを買うのなら(麦わら帽子は冬に買え)その1
H30年2月 3年ぶりに甲斐バンドのライブに行ってきました。
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H29年3月 恥ずかしながらビジネスクラスで伊にいってしまいました。その2
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H21年10月 マンション経営セミナ-に参加してみました その3
H21年9月 マンション経営セミナ-に参加してみました その2
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旅行の2日目は法隆寺です。
昭和45年(1970年)、大阪で万国博覧会が開かれた年に一度訪れたことがあります。
『人類の進歩と調和』をスローガンに岡本太郎氏の『太陽の塔』が当時TVや雑誌で盛んに紹介されていました。
夏休み前に、「万博に行ったことのある人?」 という担任の先生の質問に手を挙げたのは雀荘を経営する裕福な家庭のクラスメートだけでした。
要は今と違い誰でも万博に行ける時代ではなかったのです。
そんな時、祖父が私を万博に連れて行ってくれると言います。
近所の本屋のオバサンからも 「今度万博に行くんだってね!」 と言われる程でした。
つまり町内でも話題になっていたのです。
周囲の羨望を一身に受けての夏休みの万博行き。
小学4年生の夏の一大イベントでした。
当日の細かいことは覚えていませんが、生まれて初めて新幹線に乗り大阪へ…。
祖父は道中、隣の席の人に対して自動車産業界におけるスパイのことを熱心に語っておりました。
そして、いよいよ万博会場です。
記憶は・・・。アメリカ館の「月の石」・・・あとムニャムニャ・・・。
兎に角、牛歩のような歩みでひたすら並ぶ・・・。
疲れました。その上、真夏です。
祖父がやれ三菱未来館だのソ連館だのと並んでも、展示物を見るという好奇心より黙々とただ鎖につながれた囚人のごとくゆっくり歩くということが小学生の体力を奪ってしまったようです。
とうとう私は、「じいちゃん、もう帰ろうよ」 と泣きべそ顔で、祖父に言いました。
しかし、却下。
その後、祖父は予定どおり万博を見て回り~ 宿を奈良にとりました。
耳の遠い祖父は駅員と喧嘩をするように大阪から奈良までの乗り継ぎを聞いていました。
若い駅員はうんざりするように繰り返し祖父に説明していますが、祖父は理解するまで 「あん? あん?」 です。
自分は祖父がバカに見え、恥ずかしくなりましたが、わかったふりして首を縦にふるより、逆にわからないことをわかったふりすることが人生の損失であり恥ずかしいことであるということを大人になるにつけ理解するようになりました。
そんなやりとりの末、奈良のひなびた旅館に祖父と私は到着しました。
今で言うと、寅さんが泊まるような小さな汚い木造の宿です。
当時、大阪万博の影響で宿が取りづらかったようです。
夕食の時間が過ぎ、無愛想な女性が祖父に対してこの時間の入宿は夕食がないこと入浴を早くしてほしい旨のことを話していました。
自分は万博で足が棒のようになり、知らない街に祖父と2人きり。
祖父から「修、風呂へ行け」と言われ、入った風呂はドロ水のようなお湯でした。
淋しい・・・。疲れた・・・。早く家に帰りたい・・・。
小汚い旅館の部屋で祖父と2人きりで眠る不安・・・。
羨望の万博 ~ 人類の進歩と調和、そして泥湯 ~ 10才の少年は、その違いに戸惑いと不安を感じ、泣きべそをかきそうになってしまったのでした。
そしてその翌日、祖父と法隆寺に行きました。
ここは修学旅行ではあまり来ないところなので、「修、よく見ておけよ」と言われた記憶があります。
自分より身体の大きい仏像をガラスケース越しに見てまわりました。
今になって想います。
なぜ祖父が仕事の関係で万博を何度か行っているにもかかわらず、わざわざ孫と行ったのか?
~ 私がかわいかったのだと思います。~
自分には学がない、しかし孫に歴史的建造物を見せてやりたいという思いがあったのかもしれません。
税理士仲間と40年ぶりに来た法隆寺ですが、自分にとっては最初で最後の祖父との旅行先でもあり、40年の歳月を経て孫を持つ人の年齢に近づいて来たのか、当時の祖父の気持ちがなんとなくわかるような気がしました。
山田修税理士事務所 川崎市麻生区万福寺1-12-21 ヴィークコート新百合ヶ丘101号
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